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2017/09/23 07:23 |
Little Star

世界の高み、いと高きにて
空に降るダイアモンドの如く

なんと不思議なことでしょう。


ttp://aquasanctuary.blog107.fc2.com/blog-entry-55.html#more
こちらにお供してきました。
日程についてはノーコメントでお願いします。

けっつろーん
1.照明マニアになりそうです、ヤバい
2.鈴平ひろ氏正直なめてた
3.プロなめんな!
4.芸術の幸福とはなんぞ


本日のニコニコ:てぃんくる先生の絵です

 





いちばん鮮烈な形での絵師との出会いというのはどうも自分の中では常に笑顔と共にあるようです。
というのも桜沢いづみ大先生との出会いなどはこちらの8:20時点の画像だったのですがご覧下さい、
なんてハートに重く突き刺さるパンチ力のわんこスマイル。画像が潰れてしまっているのが残念すぎます。
桜沢大先生との出会いと同様に、てぃんくる氏との出会いもまた笑顔の中にありました。
本日のニコニコ1:20時点をご覧下さればもう説明の必要は無いかと思われます。
とまあこのような衝撃はずいぶんと以前に受けていたのですが、名前を知るのは割と最近になってからで
ありました。

今じわじわと人気が出つつあるてぃんくる氏ですが、まるで女性作家のように繊細な芸術性。
氏が漫画家や原画師というよりもイラストレーターであると強く思わされます。
頭が若干大きい、四肢が細い、小道具が小さいなどはデッサン力の問題だと思っていたのですが
よくよく見ればこれが彼らなりの人形的表現ではないかと思うようになってからは見る目が変わりました。
今はまだ小さな星でも、これからどどんとブレイクするかもしれない、そう思わせるアーティストですぬ。
もしかしたらですが、一般人的分野でも。




作り手が魂籠めて、身を削ってモノを作る。
それを美味しくいただける受け手が、受け取り愛する。
…創作の理想ですよね。
理想と言うと遠く遥かな手の届かないものに感じますが、自分はこれがむしろあるべき物だと感じます。
そうあるべき、そうあれかし。
しかしこの中間には、流通という重要なファクターが待ち受けているのでありました。

さて果たしてこの構図は、この貨幣経済も情報メディアもインフラもまるっと整った現代資本主義社会に
おいて、いかなる形で機能するのか?

ひとつは同人活動。
商業としての創作に課せられた数々の枷を自らの考え方ひとつで取り外すことが可能で、その上で
自分が純粋に作りたい「面白いもの、よいもの」をひとりで(あるいは複数人で)自由に追求でき、
そしてそれをマーケティングするでもなく、本当に欲しいと思ってもらえる人へ配布できる。
…これもまた、あくまで同人の理想かもしれませんね。
ここで話を昨今の同人界批判に持っていくとまたややこしくなるのでやめておきますが、一例のみ
挙げるならば神主はある程度この理想を達成できている同人作家の類型といえると思われます。
今となっては、本当に本気で欲しい、プレイしたいと思ってもらえる人の手にのみ渡っているとは
どうしても言いがたいという現状がありますけれどね。
これは委託業者などの弊害とも言えます、ってだからこっちではもう引っ張らないの。

そしてもうひとつは、商業の中での追求。
正直言うとこちらでの理想達成は、もう日本からは失われてしまった幻想なのではないかと思って
しまっていました。
プロとしての創作はお金にならなくてはいけない。おまんまが食べられなくてはならない。
それゆえに一人でのーんびりとやりたいようにやってる暇などなく、製作チーム内、スポンサー、
大衆、全然関係の無いどこか、いろんなところの都合とぶつかりあい、芸術的な完成を阻む思惑に
妥協する必要が生まれる。
しかし、そうはいっても、もしその作り手がそのような干渉から自由になり、プロとして最大限に作品の
質を追求することが可能になったとしたら?
…大衆を対象とするでなく、もし対象がごくごく少数でも構わない、欲しいと思われた方にだけお売り
します的な何かであったなら。その条件はクリアしうる…?
幻想的に過ぎますが、そう仮定してみることにします。
その仮定の上でなら、「作り手は魂を込めてプロとして最大限のものを提供しようと努め、作品を作り
上げることができる」。
第一の条件、作り手の誠実さがクリアされたとします。

第二の条件、受け手の誠実さもまた難しい問題です。同人の項でちらりと触れようとしましたが
芸術への敬意を毛ほども持たぬ全く以って度し難い感性的盲人、経済の亡者共、いわゆる転売厨なる
人種がとても悲しいことにこの世にはあまた生存し生活し生意気にも自然の恩恵を受けているわけで、
こういうことを考えるたびに「芸術品=お宝」という歪んだ式を現代人に根付かせた某鑑定団には
いい仕事を数値化していいのは売り手と買い手とその信頼の上にある仲介人だけなんだよと
今更ながら声を大にして、むしろコエカタマリンで実体化させてからビッグライトで大きくして
ぶつけてやりたいと思ってしまうわけですがどっちにしろ遅かれ早かれこうなりますよね現代人だもの。
電波による放映などはこの際無視するとして、こういったデカいモノ、ヘヴィなモノについてはやはり
作り手の想いがありますから、本当に欲しいと思う層へ届けたい。
とりあえず売れればいいという通常の流通とは違う流通が必要になるわけです。

ここで第三の条件、流通の誠実さ。
作者が受け手を選べればきっといいんですがもちろんプロにはそんな暇は無い、という前提ならば
肝になるのはここです。
しかし通常の流通とは違う流通、芸術への誠実さを前提にしたマーケティングは果たして普通に
やるよりも利益が出るのか。大体の場合はノーにならざるを得ないのに、このようなことが実現できる
のだろうか。
経済に明るい方はわかるのかもしれませんが「単価」がヒントなんですね。
まるでパトロンを自称してもおかしくないほどの対価を払ってでも欲しいと言ってもらえるような顧客を
見つける、逆に言えば大衆向けのマーケティングでは顧客を見つけられない、そんな領域。
個人が相手とはいえ商談が大きくなるので、流通も「誠実さ」で持って顧客と接する。
ここで言う誠実さだけは、前述の芸術への誠実さとは違った意味で、客商売としての誠実さですが。

世知辛い話ですが論が一蹴して矛盾してきている、そんな臭いが鼻を突きます。
お金が絡めば絡むほど芸術はその本質から離れるのではないか。
でも、プロということはそれで食べていかなくてはならないんですよね。
命削って命を永らえる。リーマンも同じ、芸術家だって同じ。

その命を扱う流通の誠実さが、本当に芸術への誠実さなのか。
顧客がなすべきことは、その見極めでしょうか。


自分は、「お金をどれだけ使ったかが愛の証明」などという理論は現代資本経済あるいはスイーツ(笑)
思考に毒された人の言うことだと思っています。
金は命そのものであり、ときには命より重い。
しかしそれを費やしたからといって愛だとのたまうのは、とても恩着せがましいことではないのか。
金銭の浪費で示してもらえないと信じられない愛は、自分はまだ信じられない。
そうやって探り合うのが世の恋の常なら、そこにオリジナリティがあっても、きっといい。
そんな特殊な伴侶でなくてはやっていけないというのなら、探し続けるしかないけれども。
…横道に逸れました。
創作物の価値は、作り手と受け手、そして誠実な売り手の三者の間の神聖な価値。
その価値、数値が第三者の愛の手段になるのはおかしいんじゃないかってまた横道ですね。
つぎ込むことで購買欲を満たせるならばそれもよし、じっくり検証してそれがその値段で妥当だと
考えるのならそれでよし、ただその行為が何かの手段や言い訳になるのは問題だと、ましてや
愛の証明になるなど言語道断だと思うのです。
例え対価がどうであったとしても、それによる重みは違ったとしても、愛の価値は違う次元にある。

……幼稚すぎるかなぁ。
恋をすれば考え方が変わるとよく言われますが、恋愛至上主義に陥るにはこの疑問ではまだ足りない。
証明の必要性なんて吹っ飛ぶような、そんな熱烈な恋を果たして今、しているんだろうか。
この世界に対して。

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2008/08/06 18:02 | Comments(2) | TrackBack(0) | その他雑記

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コメント

プライスレス。
もちろん、高い方にも低い方にも。

〉てぃんくる展
あまりにもフライングすぎて吹いたw
だがてぃんくるは悪くない。

でも一般進出はムリやろうなぁ…
posted by J.Valsh at 2008/08/07 00:16 [ コメントを修正する ]
リンクの件については親しき仲にもなんとやらという部分で
考慮が足りず事後承諾どうもです

一般進出とまではいかなくとも、
思いもよらないような方向から時代が始まるという妄想などをですね
posted by リィルフェン at 2008/08/07 23:11 [ コメントを修正する ]

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