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2018/04/25 23:17 |
大人の事情は移ろいゆき
最近このブログのカテゴリ分けが全然機能してないことに気付きました。
これではいかんということでちょっとばかし過疎カテゴリを埋めてみるテスツ。
…というのは名目上の理由が約60%ぐらいで、気になったショッキングな出来事をすぐに記事に
できる余裕があるうちに今日は書けるよヤッターーー!アチョーーー!というラッキーがゆえです。

ソースは痛いニュース。
【ヤッターマン】 主題歌作者の山本正之氏、世良のカバーに落胆…読売テレビ・プロデューサーの独断に戸惑いも
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1079880.html

いえ別にヤッターマンはどうでもよかったり(爆)するのですが、
この記事を読んで考えたことはモノを作るにおいて
・誰が為にリメイクは成る
・職人の創作から企業の製造へ
というあたりのことでした。



時代が変われば何が変わるのかといえば、もちろんその時々の流行や人々の感性も変わってくる。
感性というのは進歩史観よろしく洗練されていく部分と、もちろんそのまた逆で衰える部分もあり、
優劣なんて関係無く好まれる好まれないの時流があるというまず一点。
それからモノを作り流通させて利益を得るそのラインの変化。
後者はもちろん経済の諸々の要素で変化を続けるものだし、それを「時代の流れ」と呼ぶのは
経済学的にはきっと差し支えないことのはず、と誇張しつつ言ってみる。
リメイク。古き良き作品をそのままではなく手を加え、世に送り出すこと。
その意義とは?昔のままではいけない理由は?
現代人の感性に合わない、時流に合わない、という理由がまず挙げられる。
つまりそもそもが新しく創り直すだの作品の補完だのという創造的な理由ではない。
現代に則したものを作り「売れる」ことがもちろんの目標となるわけだから、極端な話、観たひとが
どう思おうが売れればいい。となると…
「昔のファンも大事にしたい」だの「現代の子供達、新しい世代にアピールしたい」だのという
尾ひれのような理由であーだこーだと条件をつけていじくっていじくっていじくり倒すことになり、
結果的に多くの場合それは「改悪」として人々の記憶に残る。
それでも過去に売れた作品というネームバリューをもとに、製作側は潤う。(この魔法が進化すると
曲芸商法になるのはご承知のとおり。)
リメイクは誰のためでもない、製作者(≠職人)のためにある。

「歌を録るということは、まず、
担当(ディレクター)が、歌い手を作家に紹介し、歌い手が作家に挨拶し、作家もこれに応えて挨拶し、
この三者に加えて諸々のスタッフの都合を整え、スタジオをキープし、連絡をし、関係者全員の中で、
和気あいあいと、楽しく、そして厳しく、行われるもの。」
確かに、今はちがうらしい。現場プロデユーサーひとりの判断で自由に録音し、完成、だそうだ。


アニメーションの最初期、もちろん技術的には現代に及ばない出来であったとしてもそこには
作り手のがむしゃらな熱意が篭もりに篭もっているという回顧的な幻想が、例えば現代に
あったとして、それが業界の内情の変化から少しずつ機械的にならざるを得なかったと想像させる
そんな要素が彼の言葉にはある。
「お仕事」というものを考えると、山本氏の言う不文律は完全に筋が通っている。しかしてそれが
簡略化されざるを得ないその理由は何なのか、それは昨今のアニメ業界の苦しそうな悲鳴から
悟れないこともない。アタマの固い頑固な職人になぜヘコヘコしてまで時間を割いてやらないと
いけないのか、現場に立って作成している身にもなってみろ、そう聞こえるのは果たして妄想か。
(これでは職人達が著作権云々と口うるさくならざるを得ないのも合点がいかないでもないというのは
また別の話として)
動かせる人材も少なく、制作費も限られ、愛の足りないやっつけ仕事をするうちにスパイラルに陥って
いるのだろうか。少なくともそう思わせる現象はウニメ、ムサシにキャベツと枚挙に暇が無い。
その上で広告代理店やら何やらからの要求、裏での諸々の何かがあって理不尽のリレーが始まり、
最終的に消費者や製作者、職人に行き着く。
作品を求め、創作を望む人々が誰も幸せになれず、芸術的な位置に全く関わることのない部分が
甘い蜜を吸うのが現代。
こう考えるとアニメ業界も、どん底を極めるドラマやバラエティの後追いをしているようにしか
見えなくなってくる。既にリメイクや他メディアからの移植ばかりになってきている時点で気付く人は
気付いている。テレビというものは結局、総じてそういうものなのかもしれない。
誰もが口をそろえてDVDの売れ行きの悪さを情報技術の発達のせいにするしかないほどに
今の放送業界を強固に支えるシステムが凝り固まっているのならば、創造的な面ではもうテレビに
未来は無い。
偏った思想を垂れ流し芸能人(笑)を使い捨てた駄作を垂れ流し続ける、局と代理店を通した支配は
果たして発達した情報網に打ち破られず蔓延り続けるのだろうか。
ネットは創造における、わずかな希望であるに違いない。

…とここまで書いて、ほぼ結論ありきで強引に書いてることに気付きました。
いーや、もう。
総論もやっぱり、いつも言っているように本当の創作(一次二次問わず)なんてもう同人でしか
できないよねということになるのですがそれでも恐るべき原作リスペクトと職人芸、職人魂を
見せてくれる京アニだからこそ崇め奉ってしまうわけです。

ものすごく乱暴な危険思想でした。
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2008/01/15 22:59 | Comments(0) | TrackBack(0) | その他雑記

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