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2017/12/14 07:28 |
偽レポート下書き
ブランク一週間ー。
ほぼ恒例となりましたザ・厚顔無恥言い訳発動タイムですが、今回は外で「よし、これを書こう!」とネタを
出しても下宿に帰って一息つくとどうしても他の事を始めてしまってついつい忘れ去られてしまっていたの
ですよ。ネタは次々に放置暖められ溜まってきています。。6月に入ってからはずっとこんな状態でした。
一連の脊髄反射記事は、ひらめいた瞬間に書き込めてそれが連続していたというわけです。

脊髄反射といえば…例の事件について書き込むのもきっとこれで最後(になると信じたい)ですが、
乱暴な言い方をすればリアルの社会に適応できない(今していない、ではない)人は大抵ネット社会でも
適応できないばかりか、ネット社会がリアルとは違うバーチャル性・ネタ性などを帯びた、全く違う構造を
しているにも関わらずリアルで得るべき物と同じ物を得ようとするために齟齬が生じ感情が鬱積し、
爆発した結果として今回の事件が起こったのではないかというのが私見です。

報道の腐りっぷりも大概ですが、それよりもこの事件、いろんな問題が集まっています。
一方向からの決め付けで安心していては到底解決にならない事件です。




まだまだ調べ物の段階ですが、自分の入手した情報(ソースはもちろん怪しいですが)をもとに
考えてみたこと諸々。

①犯人像
 犯人が利用していたという会員制サイト。なまじ相手にハンドルネームがある(匿名制でない)分、
そのコミュニティにおいて「空気を読む」=コミュニティを存続させる、円滑に回す、居場所を確保する
ために言葉を、発言内容を選ぶ…ことが必要になる。こじんまりとした共同体だったのか多くの
ユーザーがひしめきあう場だったのかはわからないが、6月に入り相手の助言・忠告に対して嘲笑と
罵倒で返答していたという犯人がコミュニティに適応しようとしていたとは考えにくい。ニュースから
選択的に開示される、書き込み内容の一部から無理に判断するなら他人に返答・賛同を求めながらも
書き込み内容は極めて身勝手なものだった。犯人にとってケータイでアクセスする掲示板は、
いわゆる「チラシの裏」的存在だったと言える
。インターネット社会について少しでも知る者ならば、
これを安易に「ネット社会の異常性」と言うことはできない。普通なら焦点は犯人の人間性に当たる
 周囲の、世界の全てに責任を転嫁し理解だけは求めようとする。25になるまでに、その段階は
乗り越えてきていることが望ましい(必要と言い切れないのは、まだまだこれからなんとかなるかも
しれなかった年齢だということを加味して。さすがにひとつしか違わないというのは…)。しかしその機会・
経験は、これまでに得られなかったものと思われる。

②欠落した「教育」の場
 犯人は成人している。しかしご両親はわざわざ、大人数で自宅前に張り込んで待ち伏せしていた
マスコミの、記者会見という名目の謝罪要求に律儀に答え謝罪している。報道が振りかざした権力臭に
折れていた心が屈したのか、はたまた彼らの心の中ではまだ犯人は自立していなかったのか。
推し量るには調査がたっぷりと必要になるが、犯人の「両親は他人」という供述には何かしら見えて
くるものがある。本当に息子を顧みることのない両親であったのか、それともその愛を認知することなく
ここまで育ったのか。いずれにしろ彼の人格形成の段階には重大な欠落があったものと思われる。
(掲示板に残された彼の書き込みには「親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、親には
無理矢理勉強させられていたから勉強は完璧」とあったが…自らの自身の無さを親のせいにしている
と取れなくもない。彼の家庭がどのようなものであったかは推し量る術は無い。)
 しかしだからといって彼がどうしようもない落伍者としてつまはじきにされるにはまだ早く、派遣先でも
「普通に好かれるタイプだったと思います。まじめで、誰に対しても同じように接する」という同僚の
供述があることから、「真面目であること」「(自分がされている、あるいはそう感じるような?)差別を
しないこと」といった価値観は持っていると推測される。社会に対する不満や疑問について自分の中で
合理化する、あるいは何かに昇華させる…といった上位回避の手段を獲得できていれば、彼はここまで
鬱屈することなく、適応を果たしていけたはずである。それを得る場として、彼の触れてきた共同体は
機能してこなかったということになる


③インターネッツとの付き合い方
 ここで注目するのが前述のケータイ掲示板。インターネットが基本的には文字だけで相互伝達を行う
場であること、それが現実世界=リアルにおけるコミュニケーションとは異なるものにならざるを得ない
ことは昔から言われているが、これはただ表情などの情報が欠けた、コミュニケーションの手段としては
劣化したもの…いわゆる下位互換でないことに気をつけなくてはいけない。伝えられる情報が限られる
からこそ多種多様な表現手段が構築されただけでなく、文字情報の捉え方によってコミュニティごとに
多様なルールを生み出すことになった。リアルとは異なる様式を守りながら書き込む必要が生じるが、
ここに後述する「リアルとバーチャルの混同」の逆転現象が起こるとき、すなわちそのコミュニティの中で
の様式を無視しリアルで人と接する際と同じ様式で書き込むとき、もっと言えば「空気を読まない」ときに
齟齬が生じる。
 ネット社会の中でも主に掲示板について考えることにするが、掲示板というものは大小様々のものが
星の数ほど溢れているのが現状で、その概要を個人で把握しようとするのは恐らく骨が折れる。(にも
関わらず監視だ規制だと言い出す人々はインターネットそのものに明るくないと公言しているような
ものに思える。)がしかしその板特有の、成文化されている「ルール」あるいはされていない「空気」は
少なからずあるはずで(例えばそれが単にネチケットの範囲に留まるとしても)、そのコミュニティに
新規参入を試みる場合、大抵はまず発言せずにその様式を見極め、適応できると判断した上で
ようやく書き込む。そのプロセスを踏まずに自分の持っているルールだけで書き込みを行い齟齬が
生じた場合は、「新参」と称されるか、ひどければ「厨房」「消防」等と呼ばれることになる。(不特定
多数のユーザーにいやがらせを行うためだけの書き込みは「荒らし」と呼ばれ区別される。)これらの
称号は単に差別的な意味合いではなく、現実に社会のルールを主体的に学ぼうとせず徒手空拳で
切り込んでくるのは子供の特徴だという共通認識からきている。(ネット上で自分の年齢・発達段階を
証明できるものはほぼ皆無であり、書き込み内容から精神年齢を判断されるのが常である。)
 「新参」や「厨房」(これらはもちろんネガティブな表現である)が現れたとき、そのコミュニティは
どう対応するか。二つが考えられる。ひとつは二度と来ないことを促す「排除」、もうひとつは参入の
意思を汲むかどうかはさておいての、適応を促す「教育」である。「半年ROMれ」「>>1(テンプレとも)を
嫁(読め)」などの反応は一見辛辣な拒絶にも見えるが、そのルールを知らない者へのれっきとした
教育的指導である。「ROMって何?」「この画像の詳細わかりますか?」などの質問があった場合、
特に2ちゃんねるなどの巨大掲示板では「まず自分で調べてから質問しろ」「まずはググれ、話は
それからだ」「詳細板でやれ」などと返ってくる。まず自分で調べるという姿勢はデータベース的社会を
形成するインターネットにおいては多くのコミュニティにおいて基本となるものだが、これを実践できて
いるかどうかでネットに慣れているかどうか、あるいは精神年齢の如何が計り知れる。ネットは少し検索
すれば大抵の情報は得られるお手軽空間と思われがちだが、実際には検索というものは高度な技術を
要する。だからこそ、最初に教えられるのはこういう自学自習の精神なのだ。
 オンラインゲームについては、このことはいっそう顕著になる。文章以外の情報を出力し、用紙や仕草
などにより疑似体験の要素が強まるネトゲでは、現実により近い体験と教育が行われるのかと言えば
実際にはそういうことではなく、重要なのはユーザー同士が「目的」を共有するということである。ゲーム
には目的がつねに存在する。だらだらと狩り(=レベル上げ)をしていてもあるいはそれ自体が目的で
あったり、目標とするレベルの数値があったり、あるいは取得するアイテムがある。そしてある目的を
果たしても、次から次へと目的は与えられる(あるいは見つけられる)。ネトゲの人気はこの「尽きない
目的」と、それを共有できるプレイヤーの存在によるところが大きい。目的の共有、ひいては協力といった
事柄だが、多くの場合一緒に敵を倒したり、1プレイヤーでは達成しえない仕様のグループワークに
臨むにあたって協力者を見つけた際、そこに教育が生まれる。あるいは、偶然見かけた、あるいは
話しかけられた際の非マナー的行為に対して忠告することもままある(余談だが現代の日本では一部の
我が子恋しさのために暴権を振りかざすようになった保護者達の必死の活動と、マスコミによる子供達を
襲う脅威の誇張報道によって道端で大人が子供に話しかける、ひいては悪いことをしている子供を、例え
近所の住人であっても注意してはいけない世の中になってしまっている。今や他人の子供を叱れる、
あるいは子供が知らない大人による注意を受けられる場はネットにしか残っていない)。またそれらの
インスタントな状況だけでなく、いわゆる「ギルド」などの小コミュニティに自キャラを登録した場合は、
そのグループ内で教育が行われていく。オンラインゲームの数少ない効能の一つは、目標を自ら設定し
それに向けて自発的な学びが行われる可能性を遊びの中で提供してくれていることである。ぶしつけな
質問に対し返ってきた「こんな攻略サイトがおすすめですよ」「Wikiを読め」などの忠告に素直に頷き
ブラウザを開くことができるようになったとき、「厨房」は知らず適応への道を歩み始めているのだ。
 ここで話を犯人に戻す。件のケータイ掲示板サイトが犯人にとって教育の場となりえたなら、数々の
忠告に対して暴言や嘲笑で返すことにはならなかった。なぜ犯人は、自分が思いをぶちまけたサイトで
学ぼうとする意思を持てなかったのか。もちろん、たかがネットの掲示板ごときにそんな大層な作用が
あるかと言われる方はいると思う。しかし、
http://mainichi.jp/select/jiken/graph/20080608/53.html?inb=yt
この文面の「主」と「友」のやり取りには注目せざるを得ない。「主」とはもちろん犯人のことである。聞く
耳を持たず怒りだけを撒き散らす犯人と、けなげにアプローチを試みる人物。もちろんこれらが新聞に
掲載された、あくまで抜粋部分であることは、注意してしすぎることはないが
、価値観の違いについて
わめき散らす子供に「世間一般の価値観」に基づいてどうにか心を開かせようとしている先生、そんな
図を思わせる内容である。「友」は今回の事件で、彼のような人に「世間一般の女性にとっての価値観」
を押し付けても、もとよりそこに疑問があるのだから逆効果だったことは学べたのかもしれない。しかし、
残念ながら犯人はこのやりとりで自分の根本にある問題点についての学びを得ることはできなかった。
そして掲示板の他の住人が、感じたことを示唆的にぶつけたことで自体は悪化する。「不細工でも苛々
するんだな。」には、自分で不細工だの駄目な人間だのと自虐的に書き込みつつも実際には容姿の
コンプレックスを克服しないまま、結局苛立った書き込みで場の空気を悪くしていることへの批判が
少なからず込められていただろうし、「自分を救う気ないなら死ねよ」は言葉の選択は致命的に悪かった
ものの流れを見ていれば誰しも心に浮かぶ矛盾点である。これらの、ネット特有のきつい言葉を
さもリアルで言われたかのように直情的に受け取る(ネチケットには反するが、このような言葉遣いは
巨大掲示板などではよく見られる)、つまりネット社会にリアルと同じフォーマット、同じ救いを求めた
ために言葉に込められた真意を汲むことなく感情を暴発させてしまった
と私は見る。最初に
ケータイサイトと聞いたときにある疑念が走った。ケータイでアクセスするネットといえば、パソコンを
積極的に使わない子供や若い女性の天下である。ある意味で独自のコミュニティを形成しているとも
言えるが、全体的に見ればネットとしてはライトユーザー、リアルをそのままバーチャルに持ち込む
層である。狭い画面に細かい字が必死に並び、卑猥さを見え見えのオブラートで押し隠し画面の多くの
割合を占めギラギラと輝く広告がネオンのように踊る世界は、ネット社会としては形式的にもユーザー層
でも発展途上だと思っていた。もしかしたらケータイサイトなるものには何か原因となるような、選択する
コミュニティとしての幼稚さがあったのではないかと思った。以前にもあるクラスだけの(つまり子供しか
いない)掲示板
が殺人事件の舞台となったことがある。しかし書き込まれた内容を見る限り、少ない
知識から予想していたような悲惨な状況ではなかったようだった。むしろネット上らしい対話、教育が
なされており、悲惨なのは犯人の心理状況だった。

④凶器と所持品の因果逆転
 凶器や所持品から犯人の心理状態をおもんばかることは操作上有効な手段であることは誰もが
認めるところである。ナイフを持っていた。ナイフかっけー、という心理状況だったのだろう。東方の
プレイヤーだったことも鑑みると、なるほどそうよね咲夜さんかっこいいよね、とここまでわかる。
(前述のとは別と思われるサイトへの書き込みで、ナイフ通販購入で殺人ドール云々と言っている。)
それはそれでいい。しかしそこから先に踏み込む…ナイフや東方が犯行の動機ないし犯人の人間性
を規定するものか、影響を与えるものか
に言及するには、考慮すべき要素が圧倒的に足りない。
そうすることは思考停止にすぎないと、ジャーナリストを標榜する方々なら知ってはいると思う、いや
思いたいが、現状はそうではない。世間の求める明快な悪者を提供し、ひいては報道権力存続の
ための世論操作を目的に、短絡的な結論を持ってきて一安心するのが実情である。そうでなければ
ここまで思考材料が揃っているにも関わらず、なぜこのねじれた理論へ繋がるような報道でもって
終わらせようとするのか。なぜ性犯罪者が所持していたアダルトビデオは、殺人犯が視聴していた
暴力表現を含むサスペンスドラマは、自殺者が増加する直前の自殺報道は、取り沙汰されないのか。
言い過ぎるとただの陰謀論になってしまうので、ここからは別角度、別要素を加えて考えてみる。
 前述のように、犯人は現代社会=リアルどころか、ネット社会にすら適応できていない。適応できない
まま、曲がりなりにも派遣社員となり、一人暮らしをしていた。犯人の社会適応性の低さは、常に自分
以外の何者かが悪いことにする身勝手さ、思考放棄に裏づけされる。成長過程で様々に理不尽な
仕打ちを受けてきたのだろうが、実力不相応な学生時代を過ごし「自分で頑張」れなかったのは親の
せい、社会に認められず彼女もできないのは社会形態や風潮、そして持って生まれた顔のせい。
「自分が悪い」は自分を理解しようとしない他人の言葉。…書いていてかなりステレオタイプな認識
ではないかと自分で思うほど、犯人の書き込みから見える犯人像は哀しい。自分では何一つ頑張って
こなかった、顔が不細工、ファッションに詳しくない。これらのことは誰かのせいにしながらも、致命的な
コンプレックスとなって鬱積している。これらの克服ないし合理化、あるいは昇華をやはり、誰かのせい
という気持ちが――心の奥底で自分のせいだと知ってはいるが認めたがらないという可能性は大きい
が――邪魔をしている。この袋小路の心理がまず前提にある。
 ここでポイントとなるのは、犯人の「彼女が欲しい」という書き込みの多さである。現実の女性を「作る」と
いってもおそらく過言ではない社会の要因まで認識し、それらと現実の女性そのものに心底辟易して
いるのであれば、彼女が欲しいとはなかなか思えないのではないかと最初は思った。がしかし、本当に
欲しいのかどうかはさておき、「彼女さえいれば自分は変われる、強くなれる」「今の自分がこんななのは
彼女がいないせいだ」という、心理内での責任転嫁のプロセスが書き込みからは見て取れる。これでは
コンプレックスがスパイラルするわけである。職場の同僚とのつきあいの中で、半ば強迫観念めいた
ステータス的な必要性を意識させられているのかもしれない。ゲームや同人誌で、「現実の女の子と
こんなふうになれたら…」という気持ちもあったかもしれない。しかし、最大の要因は今だ子供じみた
責任転嫁心理から抜け出ていないことにある。そうして二次元へと走ったのか因果は定かではない。
ここで「二次元そのものとして」ではなく「現実の代替物として」二次元を愛していると言い切れないのは、
代替物なのならばドラマやグラビア、アダルトビデオでもいいのではないかと自分は考えるため(アダルト
ビデオについてはよく知らないためこのあたりは確証が持てない)で、さらにこのあたりを突き詰めて
考えていくと男女問わず人が二次元を愛好するに至る心理についてかなり精密な分析が必要になって
くると思われるためである。(このあたりは自分にとってもなかなかにきつい内容ではあるが、関連する
著作を漁りつつ勉強していくことで答えは出るのかもしれない。)…と思いながら記事を追っていたら、
「絵(アニメ)と恋愛する方法を調べてみた。そのキャラのためにどれだけお金を使ったかが愛情の証し
らしい」という供述があった。リアルの原理さえないまぜになった混乱。二次元を愛するの心理が単に
希薄だったのか、純粋に二次元を愛する方法と何かを混同していたのか、はたまた商業主義への皮肉
のつもりで言ったか(この説はそうそう可能性の低いものでもない。商業化したひぐらしに対する薀蓄
じみた批判が実際に彼の口から出ていることを考えると有り得なくはない。ただひぐらしの場合、商業が
関与しても今まで通り自分の創りたいものを創っていけるという確信のもと竜ちゃんがOKを出したと
思われるので自分はそこを批判するつもりは無いが、それはまた全く別の話)…やはり一言には言えない
が、どうにも哀しい。
 とにもかくにも、これらのことから因果律を考えて、「二次元に没頭した」せいで「犯行に及んだ」とは
どうやっても飛躍しない。さっきゅんスキーだったからナイフを凶器に「選んだ」(それはそれで咲夜さんに
ずいぶんと失礼ではある。自己流ではあるが彼女は永遠の間に犯した殺人について立ち直った存在と
して瀟洒に描かれていると解釈する。もしここまで彼女について洞察していれば、ダガーを選択することが
オマージュにはならなかっただろうけれども脱線ですね)かもしれないが、デドアラの胸揺れで人格が
破綻したり、ましてやノートに描かれたリオンきゅんという黒歴史まで引きずり出して犯行への影響に
ついてとやかく言われるまでも無いはずなのである。これらによって上記のような心理を知ることは
できても、これらによって上記のような心理が形成されるかといえば、根本の部分から逆なのであり、
お門違いも甚だしいのである。

⑤リアル⇔バーチャル論からの疑問提示
 

長いので、事故で消える前に一旦うp。
しかし明日の1限は後が無い(遅刻もだめ)ので今日は寝るです。
目覚めて熱情がすっかり抜けてたりしたらどうしちゃおう。
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2008/06/19 18:47 | Comments(2) | TrackBack(0) | その他雑記

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コメント

長文って分けて書くと切れるよな
まぁ分けないと書く前に切れるワケだが

要するにアレだ。
つ[続きマダー?]
posted by J.Valsh at 2008/07/02 19:33 [ コメントを修正する ]
言い訳は次カキコにて!

じっくり自分の中で煮詰めるプロセスって大事だけれども
今回はそうでなくて思考ごとすっぽり抜け落ちておりました…
大きな命題だったはずなのに風化する時事ネタと化しつつあるという危機
今日中に続きをうpしようと思うです
posted by リィルフェン at 2008/07/05 15:03 [ コメントを修正する ]

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