ちょっと(ずいぶん?)前に海外の某動画サイトで、「ぼくらの」を途中まで観ました。
16話までしかうpされてなかったのでそれ以降の展開などはさっぱりわからず悶々してるのですが
一向に上がる気配が無く、まあいいや記事にしちゃおうぐらいの勢いで今書いております。
いや、夏モノかどうかと聞かれると第一話など最初のほうはそうだったんですけれどね!
細かいことは気にしない。
少し前の記事ちらりと触れた、AIRでのどこにでもドラマがある、人が生きているという感覚。
この作品を観ることで、自分の中でそれがかなり確かなものになった気がします。
どんな人間も全否定しない人間になりたい。
どんなにどうしようもない相手でも、この主体では見方を変えても届きようの無い別視点から
もし見ることができるのなら違ったものが見えるはず…
とまあ、書いてみればごくごく当たり前のことではあるのですが、
そういったことをこの作品を観る(途中までですが)ことで得ることが出来ました。
しかし内容に関しては…何を書いてもネタバレになっちゃいそうだ…
本日のニコニコ:アンインストール Full.ver
小さい頃、こんな夏の日はよく車に乗り、家族で出かけていました。
海へ山へと毎年のようにキャンプに行った経験はきっと今の自分の自然信仰の源流ですが、
音楽への想いもまた、この経験が大きく関わっています。
車内では常に、父秘蔵のカセットテープ達がかかっていました。(たまに母のクラシック。)
まだ自分が小さかったためにアーティスト名などはほとんど覚えていないのが悔やまれますが、
あの恐らくは「80年台」と呼ぶべき音楽の数々が、その時代の感性を自分の中に根付かせていることを
時折急に実感させられることがあります。
高速道路。海、空、突き抜けるアップテンポ。
助手席、灼けたダッシュボード、白い日差し。
くねる山道。緑、緑、緑。峰と峰の狭間の農村風景。
早朝、目覚めとクマゼミのシャワー。むせるほどに濃密な緑の香り。
そんな心象風景の数々が少しずつ少しずつ、甦ってくる。
甦らせられる。反射かはたまた刷り込みか、
CTRディスプレイのように、音楽に潜む遺伝子が心の一部を呼び覚ます。
本日のニコニコ:超時空音質 星間飛行 ~ランカちゃん~
られみそミソミレしどしそ
今日は期間外試験がダブルショット、
昨日はレポート提出が三点バースト。
週末リロードしておかないともうマジ本気で危険があぶない。
ねてません。これから眠ったように眠る予定のつもりです。
本日の東方原曲:永夜抄 「永夜の報い ~ Imperishable Night.」
リボンの少女。
擦れ違う自転車。
犬を連れた婦人。
そんな帰り道のこと。
先ほど何の気なしに紅魔郷をプレイしたらノーマルを一発でノーコンクリアできてしまいました。
初です。びっくらこいた。
これまで何度挑んでもさっきゅんあたりで力尽きるのが関の山だったのに、
今回はレミ様到達時に4機も残していたという奇跡。
いつもより膨大ですよ、逃避エネルギー……。
何はともあれ、これでようやく「中の人がまーちゃんっぽいかもしれない」と内輪で噂になっている
妹様にお目通りが叶いますよ。
本日の東方原曲:紅魔郷 「明治十七年の上海アリス」
今日この頃です。奈須きのこ的に言うと心の贅肉。
突然ですが自分の夏信仰には、鍵信仰が密接に関わっています。もちろんKeyのことですよ。
他の作品も心に深く残っている物ばかりですが、高校時代に出会ったAIRは格別の衝撃でした。
単にキャラがかわいいとか、シナリオが泣けるとか、BGMが神だとかだけじゃなく…
しっかりとした、濃密な、''夏''という幻想がそこにはありました。
それはとてもありふれたもので、だけど得がたいもので。
あれほど本気で「日本のどこにでもある町」を描いたノベルゲームにはきっとそうそう出会えない。
これは特別な物語なんかでは決してない…この世界のどんな街角にも何かドラマがあるんだ、
その実感だけで何十本のテレビドラマを観る以上の体験を得ることができました。
ただ単に自分の感性に波長が合っただけかもしれない、偶然に心の全開になっていた状態だったかも
しれないけれど、当時も今でも、本気でそんなふうに思っています。キモいですね。
でも、キモくていい。自分の感性がそうなのならそれでいい。
そういうわけで今年も観鈴ちんよろしく、残り(日数じゃなく回数の)少ない「夏休み」を追いかけています。
一日一日が本当に貴重だ。テスト前とかレポートがあるとか、そんなものよりも自分の中ではただただ
夏という季節を有意義に過ごしたいという感情が優先しているのだから始末に終えないです。
今は流されちゃだめよ!と念じつつも…
本日のニコニコ:スピッツ萌えだけでポップアルバム『Girls Pop』を作って再アップしたよ
さ、作業用BGM!作業用BGMだから!
来ちゃったぜーいぇーい!
あはははははははは
くけけけけけけけけ
やばいっすよ!
毎年恒例の、夏が来た記念カキコです。
が!
喜んでばかりもいられません。
いつもは途中から来る夏が終わるよ終わっちまうよ的焦りが、しょっぱなから来てます。
やばいよもう夏だよ!どうしよう!
大きな原因としてはレポートが試験がてんこもりなんですがね!いや予測できてたんですけどね!
例年より授業日数がちょっと伸びて(日程的な意味で)試験が、夏休みの到来がこれまたちょっとばかり
遅くなることもあり、焦ります。
残り少ない学生としての夏休み、今しか今年しかできないことって何だろう。考えている暇もなく目の前の
試験が迫ってきます。UREYYYYYYYYYYYYYYYYにんげんっていいな!
久々のニコニコ:てのひらを、たいように ED
あえてOPではなく。
なんでここ最近はこう、ハートにぐっさりぞぶりとくるニュースばっかり続くんでしょう全く。
そして舌の根も乾かぬうちというかまだ前の記事書き終わってないからね!続きあるからね!
よってなるたけ完結に。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080619/edc0806192345006-n1.htm
・過剰に保護された子供が将来どうなるのかぐらいは考えてあげてください。
・むしろこの事例が罷り通ることで日本の教育がどうなるのかぐらい教師集団なら、教育委員会なら
考慮してください。少しはじゃなく、大いに。
・教師には代わりがきいて子供はかけがえの無い存在だというのなら、それは立派な職業差別。
注意して平手を打っても、逆に利き手の人差し指を落とされても、等しく教師人生を奪われて相手に
お咎めなしなんて日には、それはもういろんな方々が主張なさるその他の諸々の差別を引っくり
返すレベルのもののはず。
・子供は純真?イノセント?そんな馬鹿な。そんなずるい大人と騙される大人をリアルで、バーチャルで
観察しながら子供は育っています。少々のことをやっても大して罰せられないのはDQN内の常識。
・少年犯罪は某新聞が主張するように本当に減っているのか。告発されない、犯罪として扱われない
件数が増加しているだけという可能性は拭えない。要調査。
・スレでは事故当時の検証(?)が一部の擁護派主導で進んでるようですが、どんな要素が絡んだに
したって、たとえ教師自身がドアを閉めろと言ったとしても、教師に落ち度があるなんてよく言えたもの。
自分に迫る危機を予測できなかったのが悪いんじゃない、いくら相手がどうしようもないDQNでも
まさか重たいドアを思い切り蹴り飛ばしたその後に起こるだろうことを想像する能力ぐらいは
持ち合わせていないなんてことはないと信じていたのだろうに。
・大阪人みんながわけのわからない人種じゃないんです。なぜか他所よりほんの少し多いだけなんです。
追記
ソースは朝日
「堺市立登美丘中学校(堺市東区)で今月12日、女性教諭が生徒を指導した際、男子生徒が閉めた
鉄製ドアに指を挟まれ、切断する大けがをしていた。ドアを閉めた生徒と保護者は、教諭に謝罪を
申し出ているという。」
アwwwwwwwカwwwwwwヒwwwwwwwwwww
言葉のマジックってすごいね!これが日本最大手の新聞の実態ですよ!
この冒頭部分だけ読ませれば被害者のはずの教師の加害者イメージ刷り込みは完璧ね!
ほぼ恒例となりましたザ・厚顔無恥言い訳発動タイムですが、今回は外で「よし、これを書こう!」とネタを
出しても下宿に帰って一息つくとどうしても他の事を始めてしまってついつい忘れ去られてしまっていたの
ですよ。ネタは次々に
一連の脊髄反射記事は、ひらめいた瞬間に書き込めてそれが連続していたというわけです。
脊髄反射といえば…例の事件について書き込むのもきっとこれで最後(になると信じたい)ですが、
乱暴な言い方をすればリアルの社会に適応できない(今していない、ではない)人は大抵ネット社会でも
適応できないばかりか、ネット社会がリアルとは違うバーチャル性・ネタ性などを帯びた、全く違う構造を
しているにも関わらずリアルで得るべき物と同じ物を得ようとするために齟齬が生じ感情が鬱積し、
爆発した結果として今回の事件が起こったのではないかというのが私見です。
報道の腐りっぷりも大概ですが、それよりもこの事件、いろんな問題が集まっています。
一方向からの決め付けで安心していては到底解決にならない事件です。
ここのところブログがチラ裏化してると指摘を受けました。
正直なところブログなんてそんなもんだという気持ちと、来ていただいた人に見ていただいている訳だから
そう開き直るわけにもいかないだろうという気持ち、どっちもあります。
ただ見た人を明らかに不快にするのは、どうあれよろしくない。
まずは内容の吟味に気をつけたうえで、あとは見苦しくない文体でしょうか。
今日は文章の書き方についてちょっとばかり勉強しようなどとも思い立ち、図書館に寄ってきました。
目的はブログよりむしろ、迫ってきているレポートの書き方について考えることなんですけれどね。
もとより読み手をかなりほったらかしにしたブログですが、
そろそろ考えを改めていったほうがよいかもしれません。(遅い)
はうああ
脊髄反射でがりがり書いてた記事が手違いで紛失(消失)されてしまいました。
うん、投稿しなくてよかったかもしれないと冷静になっておもふ。
解決策1:凶器のナイフや押収した2次元ものに焦点を絞る
思考停止の結果ならどんなにいいことか。
解決策2:あまり取り沙汰されていないのにもっとひどい凶器・車に光を当てる
都心部での車の必要性というものを考えてみたり、CO2やら燃料問題やらを考えてみたり、車社会
そのものの必要性や現実の閉塞状態を考えてみたり、するとやっぱり笑っているわけですね、
シルクハットのアンクルサムが。
そして問題にされる「若者の車離れ」。
若者が体制に反発して安定するのと同じレベルで、お年を召された方々は若者を叩いて安心する。
解決策3:派遣問題を論じる
なんで皆さん目を逸らすんだろうね。素直なるかな格差社会。
どれだけこじつけで、どれだけ本当に論じるべき動機があっても、報道・捜査の仕方一つで都合のいい
対象に原因・責任を押し付けて解決させることができる、それが日本を支配している体制。
15:46追記
出ました、犯罪の温床携帯サイト。
Mixiでの実名やら顔写真やら公表など、リアルとネットの区別がついていない層というのは確かに
ネット自体のライトユーザー…ひいては若年層、携帯サイト、これらに多いのではないか。
…と、こういう物の見方が良くないわけでして。
一千万て…目先インスタント解決策にしても多すぎやしませんか、というか異常じゃないですか。
どうせあちら様にとっては焼け石に水だろうに。
国内の少子化を真面目に考えるのであれば、放送業界・芸能界からマスコミから根こそぎ再構成
がどうあっても必要ですよね。丁度テレビ時代の黄昏も近づいてきていることだし、地デジだなんて
必死なあがきはすっぱりやめてしまったらいいのに。
国民総サイバー化。もう誰もモニターの角なんて叩かない。
データベース社会を尊重する身としてはここらで復帰を果たしておかなくちゃとずっと思っていた図書館。
一度ふりきれば行うは易しでした。本棚コワクナイ。
相変わらず一種独特の空気とクーラーのおかげで、図書館内での勉強は絶望的ではありましたが
「ご本に囲まれて、幸せ」の境地は思い出すことができました。
クーラーと真昼間からつける蛍光灯が大嫌いで、かつほどよい静寂と孤独がどうも合っているようで
授業の合間に読書にふけるのは専ら使われてない空き教室です。
一人でいるにせよ二人にせよ、自然光に彩られた空き教室のロマンというのはものすごいと思う。
げえっ、越前!(ジャーンジャーンジャーン)
と書くだけで伏兵になります。
なにやらSM心理診断とバトンがいっしょになったものを拾ったので、やってみました。
自分は比較的Mめかな?と思っていたはずなのですが出た結果はコレ。
あなたは甘えんぼエス
えええーしかしそれは表の顔、五月とはその実、大口を開いて巷の落ちこぼれどもを待ちうけ、ひと飲みにて
奈落の底へ放り込み再起不能にせんと企む世にも恐ろしい季節なのであった…
…などというひどい妄想劇です神隠し。
神隠しというよりはそこからの生還者のような状態になっておりました五月です。久方ぶりの更新です。
前回が四月末、丁度一ヶ月のブランク。以前に比べればまだマシなほうですが問題は質でした。
諸悪の根源はゴールデンウィークかっこわらい!!
そろそろ日本人は大型連休なる幻想妄念から脱却すべきだとわたくしは考えるのです。レジャー業の
皆様としては生命線となる書き入れ時だというのは重々理解できることなのですがなにぶん年度初めの
環境の変化を乗り越えていざ生活を軌道に乗せようという重大な時期にそれを突き崩すかのような
大型連休、このあまりにピンポイントすぎる設置はあやうく陰謀説を持ち出したくなるほどの的確さで
きっとおそらく社会不適格者をふるいにかけているのでしょうと思わせてくれます。ここまで弱者の妄言。
お部屋の芳香剤兼消臭剤を変えましたリィルです。
部活から解き放たれたゴールデンウィーク、思いのほか有意義に過ぎてゆきます。
昨日までの数日間は実家に帰っていました。そしたら偶然地元のお祭りがありまして、
ふらりと覗きにいってきました。
地域の祭り、ゆかりのある史跡などは伝奇ものスキーの好物ですが
ふるさとについてほんの少し詳しくもなれて、美味しいことづくめでした。
田舎とも都市とも言いがたい微妙な地域ではありますが、祭りは随分と賑わっていました。
地域の皆様が本当に頑張って、協力しあっているのが伝わってくる催しで少し感動。
地元の高校の放送部やらダンス部やらもいろいろと協力していたようです。スゴイ。
無駄にいろんなインスピレーションが発生しては薄れていきます。
実家に帰ったときはいつも地元を散歩するのが習慣になっているのですが
その度に自分の育った街についてあれこれと思索を巡らすようで巡っていない、そんな
浮遊するような感覚が流れていきます。
かといってそれを拾って形にするかといえばそうでもなく…
ただ、今回は形にしてみたくなるような決定的なものを拾ってしまいました。しばらくはこれだけで
厨二的な妄想に浸れそうです。
学問の面白さが言葉でなく(略)ッ!なこの頃ですが、それでもやっぱり基本的に豊かでありたい。
もちろん精神的な意味で。
(実際に迫っている問題としては金銭的な意味で)